「ふぅ」
私はメガネをケースに入れると、ため息をついた。そして本やノートをカバンに詰めると、なるたけ音をたてないように立ち上がり、図書館を後にした。
「あれ、智代じゃん」
図書館の前で、同じゼミの知り合いと鉢合せした。
「今までずっと図書館詰め?」
「ずっとというわけではないな。月曜日のレポートの仕上げだ」
「え?レポート?」
そんなんあったっけ、という顔をして、彼女は私に詰め寄った。
「ああ、月曜日の正午提出の、三千字以内にまとめるレポートがあったじゃないか」
「……」
しばらく思案していると、彼女の顔から血の気が消えていった。
「ああああああああああああっっ!!」
思い当ったようだ。
「嘘、それマジで月曜?そんなっ!どうして誰も教えてくれなかったの?!!」
「誰も、と言われても……図書館の中で結構みんなとは出くわすが……」
「そこにいたのっ!?ひどいなぁ、一人ぐらいあたしにおしえてくれてもいいじゃんかよー」
ううう、と唸ると、彼女は腹をくくったようだった
「よし決めた」
「うん」
「すっぽかす」
腹のくくり方が根本的に間違っていた。
「今からでも間に合うだろう?がんばれば月曜日までには何とかなるぞ」
「だーめ。そしたら週末の合コンとかキャンセルじゃん。だめですよぉ、そんなの」
そういうものなのか?
「……智代さぁ、もしかすると大学を勉強するところだと考えてない?」
違ったのか?
「違うよっ!大学はねぇ、もう二度と戻らない青春の時代を満喫するところなんだよ?出会いがあって、思い悩んで、苦しんで、そして最後に笑うところだよ?勉強とかしてる暇ないって」
そういうと、彼女は笑って行ってしまった。もちろん、図書館とは正反対の方向に。
「そういうものなのだろうか……」
少し思案してみた。では、もうすでに出会いやときめきやそういったものを経験している私は、一体全体どうしたらいいのだろうか。
素晴らしい贈り物
図書館から下宿への道は、金色や緋色の落ち葉で彩られていた。それが肌寒い十月の風に吹かれる私を少しばかり温めてくれた。そして、ふと前に交わした約束を思い出し、心が少しばかり沈む。
ここは私の町ではない。家族や愛する人が暮らしている町から、電車で二時間ほどの都市。そこの大学に、私は学生として通っている。
私には、大好きな人がいる。高校生の頃に出会い、恋に落ち、そしてさまざまなことを通して今でも好き合っている人だ。私はその人と離れたくはなかった。大学に進学しなくても、そいつとは絶対にうまくやっていける、そう信じていた。だからもしそいつが一緒にいてほしい、と言っていたのなら、大学生としての坂上智代はいなかっただろう。
しかし彼はそんな私に、「自分の夢を追いかけろ」と言ってくれた。ずっと一緒だから、心配するな、と言ってくれた。そんなふうに励まされて、私は進学することにしたのだった。
「朋也」
その名を、空に向かって呼んでみた。答えなど、返ってきやしなかった。そのまま言葉は白い息となって風にまかれ、どこへともなく消えていった。
「一緒にいてくれる、そう言ってくれたのにな」
少しばかりいじけ気味な声が出てしまった。朋也がいつもそばにいる、例え隣に立っていなくても、心はいつも寄り添っている。そう思っていた。しかし、本当にわがままを言わせてもらえれば、今日ばかりはそばに立って笑ってほしかった。私を優しく抱きしめてほしかった。
電気工として働いている朋也のことを考えれば、過ぎたわがままだということは自覚していた。今頃何をしているんだろうか。寒くなってきたからな、風邪とかをひいていなければいいが。
『智代へ。そっちに何か送ったから、期待していてくれ。できれば金曜日に届くはずだから、あまり外に出ないでいてくれるとありがたい』
そんなメールが私の携帯に来たのは、三日前の火曜日のことだった。友人からのメールを受け取った時にそれを見つけ、私はそのことをすっかり失念していたことに気づいた。実のところ、月曜日提出のレポートのせいで、少しばかり慌ただしいところがあったのかもしれない。レポートはほぼ仕上がっていて、あとは今日見つけたことを付け足すだけで終わりだ。週末を開ける必要性などまるでなかったのだが、高校三年生の頃の習慣と言おうか、課題は早めに終わらせる癖がついたようだ。
そもそもそんな癖を付けた理由というのもまた、朋也と関わりがある。朋也を含むいろんな人が言うには、私は時々周りが見えなくなることがあるそうで、それは恋愛も例外ではないようだ。とどのつまり、付き合い始めてから少しして、私は高校の生徒会長になれた。そこまではいいのだが、生徒会長としての役目と、朋也との時間をうまく両立できず、結局はお互いに辛い時間を過ごすこととなった。だから朋也とまた一緒になってから、独り立ちした朋也を支えつつ学業を疎かにしないため、課題は早く終わらせるようになったわけだ。
ふと気づいた。どうもさっきから事あるごとに朋也に関する話題になってしまう。困ったことだ。
「全く、彼女をここまで悩ませるなんて、仕方のない奴だな」
声に出してみて、苦笑する。何のことはない。私があいつにぞっこんなのがいけないのだ。
「しかし、かといって好きであることをやめるなんてできないしな……むぅ、どうしたらいいだろうか」
カンカン、と金属製の階段を昇る。そして私の部屋に続く廊下にきたところで、私は立ち止まって目を細めた。
私の部屋に続く扉の前には、恐ろしく場違いで怪しげな段ボールが、どでん、と言わんばかりに置いてあったのだった。
誰かが間違えて置いて行ったものなのだろうか。しかし、いやにピンポイントに私の部屋の前に置かれているではないか。では、私宛なのだろうか。
恐る恐る近づいてみると、段ボールの上辺には、「坂上智代様」という字と、この部屋の住所が記されていた。どうも私宛らしい。しかし、こんなとんでもなさそうなものを贈られるいわれはない気がした。
そう思っていると、箱が動いた。
「!!」
素早く数歩下がると、私は身構えた。何だ、何が入っている?もしかするとあれか?某コウモリ男の映画でよく使われた、携帯電話で作動する爆弾の一種か?あれを開けると携帯電話が振動モードになっていて、とったらドカーンなのか?しかし振動モードにする意味がわからない。メロディが流れないのはまぁ近所迷惑になりにくいとは言え、爆発したらそもそも迷惑に思う近所がなくなるんじゃないか?
それともこれは動物なのか?もしかすると、開けるとお腹を空かせた小熊ちゃんが「拾ってください」というカードを私に見せるんじゃないか?困ったな、この下宿はペット厳禁なんだ。し、しかし、かわいい小熊をそのまま捨てておくわけにはいかない。うーむ、困った。とても困った。
しかし何にせよ、もし小熊ちゃんだとしたら、今頃とてもお腹を空かせているんじゃないだろうか。いくらペット禁止でも、お腹を空かせた動物にミルクぐらいあげたっていいのではないだろうか。
そう思って段ボールに近づくと、ひそひそと声が聞こえてきた。
(おい、今だ)
(え?マジ?)
(ああ、すげえ可愛い子だぜ)
(マジかYO)
次の瞬間、段ボールがものすごい勢いで開き
「いやっほおおおオオオオオオ……」
どがががががががががががががががががが
思わず蹴ってしまった。「それ」は数秒間空を舞った後、べたし、という音付きで廊下の壁に張り付き、そしてぴらりと剥がれ落ちた。
「死ぬ……」
「何なんだ、お前は?」
「それ」に向かって問いかけたがへんじがなかった。どうやらただのしかばねのようだ。
「元気そうだな、智代」
不意に後ろから声がした。振り向くと
「よぉ」
いたずら成功、と言わんばかりの笑みを浮かべて
「朋也っ!!」
私の大好きな人が立っていた。
「おいおい、いきなり抱きついてくるなよ」
「む……嬉しかったんだから、いいだろう、これぐらい?」
「まぁ……悪い気はしないな」
そう言うと、朋也がそっと抱きしめ返してくれた。
「誕生日おめでとう、智代。会いたくなったから、来ちまったぜ」
「ああ、私も朋也に会いたかった。ずっと、そう思ってた」
「智代……」
「朋也……」
「智代……!」
「朋也……!!」
「ちょっとっ!僕のこと忘れないでよっ!!」
ようやく回復した「それ」は。私たちに向かって怒鳴った。しかし、誰かの配慮かモザイクのかかった「それ」の正体を見極めるのは難しかった。
「なぁ智代、本当にあれに覚えはないか?」
「ないな。あれは誰だ?いや、そもそもあれは人なのか物なのかどっちだ?」
「どっちでもない」
「人だよっ!!」
首をひねる。しかし今の声、聞き覚えのあるような……
「蹴ったら思い出すんじゃないか?」
「何でそうなるっ!」
「いや、ほら、お前よく蹴られてたからさ、智代の体が覚えているんじゃないかと思って。つーか、智代だったら絶対に思い出してくれるさ」
「え?そう……そうか……あの、智代ちゃん、僕を蹴ってくだ」
「そんな馬鹿なことを真顔で言うのは、私の知る限り一人だけだ」
私はため息交じりに春原にそう言った。
話は少し遡る。
あるところに一人のハンサムで格好いい男がいた。その男は、遠くに住む愛する女性の誕生日のために、休暇を取ってまで会いに行こうと考える、すべてのボーイフレンドたるものの鑑ともいえるような男だった。しかしその女性のことだから、自分からパーティーを開こうとは思っていないだろうと思い、なら二人の共通の友人も呼んで場を盛り上げようと思った。そこでその友人に電話をかけて、こう伝えたそうだ。
「おい春原、今週の金曜日暇か?」
「暇じゃないよ、仕事普通にあるしね」
「そうか……残念だなぁ……お前にもいい話なんだがなぁ」
「え?どうしてさ」
「いや、お前前俺に、仕事場に女の子が殆どいなくて味気ないって言ってたろ?」
「うん、そうだけど……?」
「だからさ、とびっきり美人で、超キュートで、気立てもいい女と合わせてやろうと思ってさ」
「え、マジマジっ?!」
「大マジ。しかも、俺らの高校の後輩だから、話も合うだろ?」
「くぉぉおおおお、岡崎、僕、なんか萌えてきちゃったよ」
「電車賃とかはまぁ俺が持つけど、何か用意してくれよ。そいつの家に直行して、すぐパーティーだからな」
「え?そ、そこまで話進めちゃう?どきどきするね」
「でも仕事あるんだろ?」
「そんなのどうでもいいよっ!仮病でも使って何とかするよっ!!」
こうして物凄く単純なところのあるその友人は、誘いに乗って女性のところまで来てしまったということだった。
「そりゃね、岡崎にとっちゃあさ、智代ちゃんが世界一の美人で、スーパープリちーで、もうメロメロなんだろうけどさ」
ぶす、とした顔で春原が零した。
「嘘は言ってないだろ?」
したり顔で朋也が返す。
「絶対にだますつもりで呼んだでしょ」
「しかし朋也も人が悪いな。二人で来るんだったら、前もってそう言ってくれれば準備はしたのに」
「悪い悪い。少し驚かせたくてさ」
「つーかさ、僕がいていいの?二人っきりのほうがよかったんじゃない?」
春原が少しばかりあきれたかのように言った。
「いや、何つーかさ、一度この三人で祝ってみたかったんだ」
そう言われて、春原がぴくりと表情を動かし、そして笑った。
「……なるほどね」
「だから遠かったけどお前にも来て欲しかったんだよ」
「まぁいいよ、僕は。久しぶりに智代ちゃんに会えて嬉しいし、そっちがいいんだったらね」
「よくないわけがないだろう。お前は朋也と一緒に祝いに来てくれたんだ。それに朋也の友達なんだから、無下には扱えない」
「……何でだろう、何だか初めて誰かにまともに扱われた気がするっす」
「うん。裏に段ボールが転がってるから、それで小屋を作るといい。何なら私も手伝ってあげよう」
「ありがとう……って、おいっ!?」
くわ、と目を見開く春原。
「何で僕がそんなホームレスみたいなことをしなきゃいけないんだよ!?」
「む?しかし、お前の実家では、それが習慣だと、朋也から聞いているんだが?」
「あんた、何自分の彼女にデマ流してるんすかねっ!!」
「いいじゃん別に」
「よくないよっ!!」
春原が目を背ける朋也の胸倉を掴んで揺さぶる光景を見て、私は笑った。そして気づいた。
最後にこんなに笑ったのはいつだろう。
大学生活が孤独と感じたことはない。高校時代同様、こちらでも知り合いや友人はできている。しかし、こんなに開けっ広げに笑えたことは、なかったんじゃないだろうか。
こんな素晴らしい贈り物は、あまり貰えるものじゃない。
「朋也、春原」
未だにコントをしている二人に呼びかけた。
「いや、そのな……素敵な誕生日を、ありがとう」
すると、朋也は皮肉気な笑いを消して
春原は突っ込む手を止めて
そして二人ともすっきりするような笑みで答えた。
「ハッピーバースデー、智代」
「誕生日おめでと、智代ちゃん」